2008/06/16

片想いの行く先は

ヴェルディファンの方のブログにこんなエピソードが。

FC東京からのレター

先日のダービーでの小競り合い(実際に被害に遭われた方にはこのように表現するのは適切ではないとは思いますが)は、最近のJ Leagueを取り巻く状況も相俟って、芳しくない方向に進んでいくような気配を感じずにはいられません。

思えば、ワタクシたちのクラブの応援スタイルというのは、元々が「後発のクラブ」としての意識から出発しているように思います。
地方の王者クラブを田舎、田舎と揶揄し、スタイリッシュなサッカーを目指す日本代表選手を「泥臭くて何が悪い!」と言わんばかりにおちょくる。

相手が王者であればあるほど、対戦チームの年間予算が大きければ大きいほど、対峙するそのサッカースタイルが、美しければ美しいほど。

それはいわば、ジャイアンに挑んでいくのび太のようであり、はたまた連戦連敗にこそ意味を見出すかつての地方競馬のスター馬のようでもあり。

「PRIDE of URAWA」
「Spirit of Zico」
「WIN BY ALL」


多くのクラブが自分たちの内部にある何かについて自らのアイデンティティを携え、それをスタンドにて誇示しているのに対し、東京のスタンドというのは、いわば「相手との差異」においてこそ自らの自我を確立しようとしてきました。
それはまるで、実態は掴み所がなく、明確何かを与えてくれる訳では決してないのだけれども、遠くからはとても煌びやかに見え、多くの人を魅了して止まないこの陽炎のような東京の街そのものなのかもしれません。


クラブが出来て10年。振り返ればそうやって「反体制」的に尖ってきたワタクシたちも、随分な地点まで歩んできました。

毎年拘泥しながらもJ1に定着し、いつしか平均観客動員数はリーグ3位を争い、曲がりなりにも各年代で日本代表選手をそれなりに輩出するようになりました。
遂には何を間違ったのかリーグ戦の順位そのものすらも今季は上位を争えています。
そうやって、従来の「立ち位置」がある部分ではひっくり返ってしまっている現在、かつて「のび太のくせに」で済んでいたジャイアンへの対抗意識は、クラブのそのステータスが認知されてきたことに反比例して「品がない」「挑発的」「暴力行為を煽ってる」という誹りを受けるに至ったのではと、まさに隔世の感。
そういった意味では、ワタクシたちもそろそろ「より大きいもの」へと目線を変え、新しいジャイアンを探すべきなのかもしれません。

でも、一つ言わせていただけるならば、かつてののび太-ジャイアン関係が仮に逆転しているとして、
だからってそれを「お宅のサポは品がないから取り締まるべき」と相手のクラブに投書するのってどうなんでしょうね?
自分たちの立ち位置が下から目線になった、ということを認めるのは百歩譲ってそりゃ構わない(本当はそれもまた淋しい、というこの「ツンデレ」な感じは理解してはもらえないのでしょう)けれど、それじゃあなた方のやっていることは「のび太」じゃなくて「スネ夫のママ」じゃないか。
浦和とガンバの件ではガンバが暴力というどんな理屈を持ってしても肯定されえない手段を用いたからこそ、報復された側が謝罪しなければいけなかったのであり(だからと言って選手の「勝利の儀式」を自粛するなんていうのは到底的外れだと思うのですが。浦和の選手は負けたのだからそれに歯噛みすれどもイチャモンつけるべきではない)、その1件を盾にして「うちもあなた方のファンの応援にこんなに嫌な思いをしている。やめさせろ」というのは最近話題のモンスターペアレントと変わらないのではないか。
そんな風にワタクシは思います。

「伝統クラブ」のプライドは、100%ののび太意識をあなた方に持たせるには大きすぎるのかもしれませんが、ならば伝統クラブらしく、堂々としていて欲しい。
そんなにワタクシたちに虫唾が走るのならば、応援には応援で、やり返して欲しい。
浦和だってガンバだって川崎だって、サッカーファンの本質は「臥薪嘗胆」であると、ワタクシはそう思います。
あなた方にとってワタクシたちは眼中にない、「品のないカス」かもしれませんが、呉と越が味スタという舟に同居しているからこそ、ワタクシたちの対戦には意味がある。
綺麗なダービーなんて望んでなんかいませんが、出来るとことならば、もしあなた方が振り向いてくれるのならば、この呉と越の物語は素晴らしいJ Leagueの故事となれると、そう思います。

あなたが振り向くその日まで。

我々が飽きるその日まで。

そのどちらかが来る前に、他の何かの力でこの片想いを潰されるのは哀しいじゃないか。


だからこそ、今日も心の底から言うのです。


は大っ嫌い! !!



東京に、「ダービー」が現れるその日まで。

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