2008/11/04

天皇杯4回戦:東京2 vs 1仙台



鈍色の空。
見慣れた広告ボードが一つもない、報道陣もいない。
そこにピッチがあるだけでは、いつもよりもだだっ広く感じられる味スタ。

天皇杯の始まりというのは、例年、何だか寂れた風景のように感じてしまいます。

例え使い慣れたグラウンドでも、1週間前に熱狂と歓喜を抱いたばかりの空間と同じスペースを持っていても、そこにいつも普通にある様々な者や物が不在であるだけで、全く違う雰囲気を携える。
そしてワタクシたちの心の在り様もまた、「いつも」のそれとは異なっていくのでしょう。

監督を「ジョー浩」とコールされ、失笑するゴールスタンド。

大・宮沢コールで全ての東京の選手に先んじて迎えるスタンド。

仙台のCKにニヤニヤしながらブーイングして、事なきを得るとすぐにまたも大宮沢コールなスタンドw

賛否両論喧しいようですが、ワタクシ自身はサッカーの試合と言う興行は単に「愉しむ」ものだと思っており、もちろん鹿島戦のような「熱」も当然至高の悦びには違いないのですが、この日のような、どこか焦点を外した、でも東京だけでない、何だかもっと大きな「サッカー」に対して愛があるよな、って思えるそういった心の持ち方と言うのも、大事にしたいなと思っています。
もちろん負けるのは嫌ですし、真面目に元旦・国立に行きたいとか言ってるんならそんなのないだろう、っていう意見も充分理解できるんですが、かつては大真面目な鹿島戦(確かあれもカップ戦だったような)の最中に、隣の神宮球場で上がった花火に感嘆の声を上げ、試合そっちのけで「玉屋! た! ま! や!w」とコールした東京のゴール裏が、やっぱりワタクシは好きなんですよ。
実際終盤はしっかり後押しして、帳尻合わせた感じにしてましたし。苦笑
でもそういう気まぐれで悪戯気質な心意気は、失いたくないなあ、とも思うわけです。


塩田のファインセーブがなかったらさっくり負けてるようなヒヤヒヤもののゲームではありましたが、ではこれが本当に「薄氷の勝利」なのかといわれればそこまででもないのかな、と。

確かに前半のあの圧倒された感じは、選手が怪我を怖がっているのか足だけでしかチェックに行っていなかったり、鹿島戦でもポイントになったシステム的な中盤の数的不利はこの日モニが欠場したお陰でDFラインが下がってしまいダイレクトにセカンドボールの奪取率に出てしまったりと、メンタル・システム両面でのちょっとしたズレがこれくらいの大きな違いを作るという好例であるように思えたりもした訳ですが、それでもカボレは6割程度の力で相手選手とは全く違う次元でプレーしていましたし、ぬるくやってる割にはチャンスもそれなりにあったんですよね。
まあ、それを見ているこっちがどこまで許容できるか、というのはまた違った話になってくるのですが。。。

実際同点にされた後の我が軍はようやく目が覚めたのか、1タッチ2タッチで繋ぐというようにパス回しのテンポを1段上げて攻撃に出たわけですが、序盤から飛ばしてきていて足が止まりかけた仙台はもう完全についていくことが出来ませんでした。
なので、例え延長になってもこれは勝てるだろうな、とそんな感じで終盤は進んでいきましたし、一番安心したのは前へ前へと圧力を強めながらも、無理矢理に攻め急いだりはせずに結構ピッチ上の選手たちは落ち着いていたように見えたことですかね。
結局、後半35分で足を使い切ってしまった相手方と、意図してではないにしろ結果的に最終コーナーを回ってもまだ足を残していた東京で最後の直線はその差がそのまま出たのかな、とそんな印象でした。
まあただ、サッカーなんて何のキッカケでそんな微妙な均衡が崩壊してしまうかわからないものではあり、そういういみでは「勝ったことだけが収穫」という感じであることに間違いはないとワタクシも思う次第であります。




これで今月のこの後はガンバ→新潟@鳥取→神戸→新潟と、関西圏ばっかりですな。
しかも新潟と2回やるのは結構感じが悪いのですよね。。。
基本的に同じ相手と2度やって2度とも勝つというのは、最初に負けた側は当然雪辱を期して望んでくるわけで、しかもそれは再戦が近ければ近い程気持ちも強くなりますし、どうにも難しくなりそうですな。。。
ただ、そうはいっても勝つしかない、という事実には何の疑いもない訳ですから、そこは何としてでも達成して頂かないとというのも当然のこと。
鳥取と神戸には参戦できませんが、是非ともいい流れを掴んでフィナーレへと雪崩れて行きたいものです。




仙台は来年上がってくるのかな。

個人的には仙台は大好きな街のひとつでもあり、是非とも上がってきて欲しいのです。
もしも入れ替え戦になって相手がベルディなら、迷わず味スタに応援に行きますよ!!



最後に。

ワタクシがFC東京のSOCIOになって、最初に買ったプロ紺シャツの背中に選んだのは、「MIYAZAWA」でした。
ボランチの位置から右と左、丁度「V」の軌道の先にある東京の両翼に向かってその左足からボールを放つ。
運動量は多くない、足も速くないし、あたりにも強くない。
けれども、ともすれば華奢にすら見えるその身体から放たれるワイドパスの美しい軌道と、そして左脚がボールを捉える、その瞬間の彼の優雅な佇まいが大好きだったのです。

最後に東京の選手として彼を見たのは、2005年の天皇杯5回戦、岡山で清水に敗れて東京に戻った、羽田空港の到着ロビーでした。
「お疲れ様でした。」と、あの時選手に初めてかけた言葉が、そのまま最後の言葉になるとは思ってもいなかったものです。
彼は翌年大分の一員となり、そして今は仙台でプレーしています。

背番号は16から1が取れて6になっていましたが、華奢な身体とそこから描かれる壮麗な軌道のコントラストはあの時と同じで、サッカーを続けてればどっかでまた遭えるのだなあ、と。
そんなノスタルジーな気分になりました。

ミヤにもユキヒコにも、そして東京にいまいる選手たち、今は違う場所でプレーしている選手たち、更にはプレーを終えた選手たちにも。
幸多からんことを、とただただ思ったのでした。

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