2009/10/26

SHINING, No.7

浅利 悟選手 現役引退のお知らせ(Official)

今日からナビスコ決勝に向けての記事を上げていこうと思っていたんですが、昨日日本平のスタンドで別れた友人からのメールに目を疑った月曜の朝でした。
吃驚して携帯サイトの本人からの引退コメントを見てしまったら、この忙しいのに午前中は全く仕事になりませんでした。

いや、本当は、この日が来るような気がしていたのかもしれません。


「米本は浅利を引退させるかもしれない」


2月初旬、今季初めて行われた小平グラウンドでの練習試合。
梶山が下がった後の中盤で躍動したルーキーをその目に初めて見たときに感じた感想がこんなにも早く現実のものになるなどとは、この言葉を口に出した本人すら想像だにしていませんでした。

引退コメントの中で奇しくも浅利本人がそのことに触れていたのは、印象的でもあり、ワタクシたちが与り知らない「プロ」という世界の厳しさを窺い知らされるものでもあり。


「尊敬する選手は浅利選手」
といってクラブの門を叩いた18歳の選手が、その畏敬の対象に引導を渡す。

自分を慕ってくれた選手の成長に己を知り、スパイクを脱ぐ。

ある面では、プロスポーツ選手冥利に尽きる体験なのかもしれませんし、またある面では、これ程過酷で悔しい瞬間はないのかもしれません。


そんな今日の日を予感しながら、でも、できることならば、そんな日はずっと来て欲しくなかったというのが、嘘偽りのないワタクシの気持ちです。


藤山の段でも書いた通り、ワタクシと「東京ガスサッカー部」との繋がりは、アマラオであり、藤山であり、浅利でした。
やっぱりワタクシの中での「FC東京」とはまだまだ「部活サッカー」と揶揄され胸を張っていた頃のトーキョーであり、その象徴は、パスが下手な守備専門の背番号7のボランチであり、小柄でパスミスは多いけど華麗なインターセプトを見せる背番号8のセンターバックであり、最終ラインまで戻って守備をする、シュートの下手な背番号9のブラジル人であったのです。

東京の歴史に比べれば、ワタクシなどはまだ若造ではありますが、多分ワタクシたちがそんな時代と少しでも繋がりを持っている、恐らく最後の世代ではないかと思います。
だから、藤山が去り、浅利が退く。
この2009シーズンに、FC東京というクラブにたゆたう時間軸の中における、1つの時代の終わりを感じずに入られません。


アマラオ・フジさん・サリさんの時代から、ナオやシオ、モニの時代へ。

こう書いてみると、ワタクシたちのクラブはそれなりに幸せな時代の移り変わりを体験できているのではないかな、とも感じます。
そして、その移り変わりを目の当たりにするワタクシたち自身の幸運と葛藤もまた、素晴らしいもののように思えます。

アマの時は、最後、手が届かなかった。

だから今度は、みんなで、笑顔をくしゃくしゃにする涙で、彼らを送ってあげたいなと、そう思います。


声を挙げよう。

唄を歌おう。


ゴール、決めてくれないかな。

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